
2021年5月18日(火) 青森県で連想するのは、1902年(明治35年)1月に起きた、日本陸軍の八甲田雪中行軍遭難事件です。
近代山岳史上において、最も多くの死者を出した山岳遭難事故でした。 当時の日本は、帝国主義に基づく侵略国家であり、列強国の1つであるロシアとの寒冷地での戦争に勝利する為、どうしても極寒時の訓練を行う必要がありました。 その為、青森の歩兵第5連隊から210名が行軍(訓練)に参加しましたが、天候の変化等を甘く見たこともあり、訓練だったにも関わらず、199名もの尊い命が失われるという悲劇に結びつきました。
(後に、小説や映画にもなっている有名な出来事です。)
実は、この遭難が起きた場所のごく近くまで、車で簡単に訪れることができます。 (勿論、雪のない季節にですが。)
直立し、指揮を執りながら仮死状態で発見された、後藤房之助伍長の銅像が。ここには建てられています。
今は、青森の観光地の1つにもなっています。 (未だに幽霊が出る、心霊スポットとも言われますが。)
大変悲しい事故だったと言えます。
雪さえなければ、この一帯は本当に静かで綺麗な風景が広がり、「こんな所で」と言う気持ちになります。
一方、弘前からも、同じ時期に訓練部隊が出発していました。 (目的地は同じで、落ち合う計画でした。)
弘前の部隊(歩兵第31連隊)は、青森の部隊との大きな違いとして、出発前に、地元の住民(主にマタギと呼ばれる狩人)から、現地の気象現象や、必要な装備等の情報を収集し、万全の準備を行った上で参加したそうです。 その結果、こちらの部隊は死傷者を1人も出さず、無事に訓練を終えました。
弘前の部隊でのリーダーの資質・あり方等は、まさに称賛に値すると思います。
まさに、深い教訓を与えてくれるのが、この遭難事件と言えるでしょう。
ある意味、お調子者もグループにとっては必要でしょうが、きちんと実務をこなす裏方の存在は欠かせないと実感します。
遠藤雅信
Comments