2021年10月13日(火)
青森県は、明治の廃藩置県により、旧南部藩(東側)の一部と旧津軽藩(西側)を強引に合併させて生まれました。
このことは、当時から禍根を残していて、八戸を中心とする東側の地域と、旧津軽藩が支配していた西側地域とでは、未だに文化や生活様式等が大きく異なっています。
(同じ県内でありながら、あまり交流はないとも言えます。)
しかも、新しく生まれた青森県の首都を、当時は寂しい港町だった青森に決めたことから、弘前市と青森市の間でも、ちょっとした争いが生じています。
そもそも、弘前と青森を較べれば、歴史の長さや伝統性、文化の集積度等では、圧倒的に弘前の方が上回っています。
津軽藩の藩主の住む場所(弘前城)も、弘前にありました。
弘前の人からすれば、なぜ弘前を県庁所在地にしなかったのか、不審や不満を感じたことでしょう。
しかし、時の明治政府は、青森を県庁所在地とすることを、強引に決めてしまいました。
このことが原因で、弘前の人たちは、なにかと青森に対しては、競合意識が根強いと言えます。
そこで、明治政府は、緩和策として、国立大学は青森ではなく弘前に設置したそうです。
(この為、県庁所在地であるにも関わらず、青森には国立大学はありません。)
弘前は、青森以上に文化の香りが強く、とてもしっとりとした雰囲気を持つ街です。
そして、弘前には「洋館の街」と言われるほど、素敵な洋館が沢山残されています。
洋館の1つとして、「旧弘前市立図書館」が挙げられます。
この建物は、1906年(明治39年)に建設され、ルネサンス建築を基調とした3階建で、とても優美な印象を覚えます。
観光用のポスター等でも、度々取り上がられる有名な洋館です。
(大事な、観光資源でもあります。)
弘前は、また、「フランス料理の街」としても有名です。
(食文化にもこだわりが感じられ、蕎麦や和菓子の老舗も多くあります。)
昭和だけでなく、大正や明治の香りも残っている文化的な街が、弘前なのです。
(青森の中で、最も歴史を感じさせる街です。)
洋館や文化財についても、あえて保存しているという感じではなく、自然と街に溶け込むようにしながら、存在しています。 こう言う点も、個人的にはとても気に入っています。
まさに、地に足が着いた、落ち着きのある街が弘前だと思います。 遠藤雅信
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