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懐かしい横浜の風景です(1)

  • masa-en
  • 2021年5月11日
  • 読了時間: 2分

2021年5月11日(火)

1985年(昭和60年)秋に結婚して、八千代市(千葉県)に引っ越しました。 (新居は、高津と言う地名でした。) 結婚する27歳迄は、ずっと横浜に暮らしていましたので、今でも横浜はとても愛着のある街(故郷)と言えます。 子供の頃を過ごした横浜市(中区)を、何年か前に訪ねてみました。

写真は、当時住んでいた、小港町です。 古い建物は建て直され、大きく風景は変わっていました。

でも、なんとなく、道路のカーブとか歩道橋とか、30年も前から変わっていない部分も残っていました。

(「美濃屋あられ」の本社も、当時のままです。) 子供の頃は、至る所に進駐軍(アメリカ軍)の施設が残っていました。

当時は、「ボイラー」と呼んでいたのですが、米軍施設用に暖房用の熱源(熱水)を供給する為の、大きな工場のような施設もありました。 石炭置き場等もあり、子供たちの遊び場の一つになっていたものです。

この施設は、当時、もう既に廃止が決まっていたせいか、割と自由に出入りができました。

一方、他の米軍施設については、厳重に囲いが設置してあり、警備員がいたりして、入ることができませんでした。

(日本にとっての治外法権エリアでした。) 豊かなアメリカに対し、まだ戦後復興途中の貧しい日本、そのコントラストを感じさせる風景が、そこにはありました。 その後、いろんな土地を移り住みましたが、異国情緒たっぷりの横浜には、今でも懐かしいと感じます。

    遠藤雅信

 
 
 

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