定年(60歳)退職の記念品は、写真立てでした
- masa-en
- 2022年9月9日
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2022年9月9日(金)
私は、2017年(平成29年)の11月29日付で、長年勤務した会社を定年退職しました。 (なぜ月末付でないかと言うと、税金か保険の関係で、何らかの理由があったかと思います。)
1981年(昭和56年)3月に大学を卒業し、その年の4月に定期新卒採用として入社したので、思えば長いサラリーマン生活でした。 実は、私の入社した時の会社名と、卒業(定年退職)時の会社名とは違っています。
途中で、まさかのコペルニクス展開が発生し、競合していた同業他社と経営統合し、一つの企業体(ホールディングス)になったからです。
同じ業界とは言え、それぞれの会社は別々の歴史及び思想に基づいて、経営を続けていました。
(独自の伝統もあったし、社風等も明らかに違っていました。)
だから、晩年は、強い違和感を覚えながら勤務する毎日でした。 希望退職の制度もあったので、一度、身分を精算し、新しい生活を始めることを考えなくもなかったのですが、「ここまで来たのだから」と言う気持ちから退職を躊躇し、定年を迎えることになりました。 定年の記念品は、ピカピカに輝く銀製フレームの写真立てでした。 なぜか、「三越」でも「伊勢丹」でもなく、銀座「和光」の包装紙に入っていました。 (ちょっと複雑な気分でした。)
記念品を手渡してくれ、ねぎらいの言葉をかけてくれたのは、三越ではなく、伊勢丹出身の社長でした。 これも、運命かと受け止め、すごすごと帰ったものです。 この日を最後に、組織の元で働くことはなくなりました。
(ずっと、自由人で過ごしています。)
働いた方が経済的には楽になるのですが、ほとほと、「宮仕え」には疲れたと言うのが感想です。 「サラリーマンは気楽な稼業」と割り切っていたつもりでしたが、心の部分も、多くを会社に売ってしまったような気がします。 (正社員というのは、そういう面もあるのでしょう。) 社員にとって、会社との理想の付き合い方はどうあるべきか?
そのようなことを、今になると、いろいろと考えてしまいます。
遠藤雅信
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