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人生、成り行き・談志一代記


2021年10月19日(火) 昔に買っていた本で、最近、読み直した本です。

「一代記」とタイトルにありながら、本人(立川談志)は一行も書いていません。

(あと書きだけは、本人が書いていました。)

本体部分は、吉川潮さんと言うルポライターが、立川談志にインタビューし、その内容をまとめたものが全てです。

(最初は、「小説新潮」の各月連載だったそうです。)

私生活では気難しそうな印象の立川談志が、聞かれていないことまで含めて、延々と話し続けているので、とても興味深い内容です。

彼の落語での語り口が、そのまま文章として活かされています。

立川談志にとって、吉川勲さんは、よっぽど心を許せる友人の1人だったのでしょう。

立川談志(本名は松岡克由)は、間違いなく不世出の落語家であったと思います。 軽妙でありながら、実に味(あじ)のある語り口が特徴でした。

先代の林家三平のように、大爆笑を取るタイプではなく、どちらかと言えば、通好みの落語家でした。

立川談志は、1936年(昭和11年)に生まれ、2011年(平成23年)に、75歳で亡くなっています。 同世代の落語家としては、古今亭志ん朝が挙げられます。

古今亭志ん朝は、1938年(昭和13年)生まれで、2001年(平成13年)に、63歳と比較的若い年齢でなくなっています。 両師匠とも、古典落語を得意とし、芸風もやや似ていたかも知れません。

しかし、立川談志の場合は、落語家としての経歴以上に、私生活のハチャメチャぶりが目立っていました。

1971年(昭和46年)に、参議院選挙全国区に無所属で立候補し最下位で当選、その後、自民党所属の国会議員になったのが1つめ。

そして、もう1つは、1978年(昭和53年)に、落語協会の分裂騒動を起こしたことです。

国会議員になって、政務次官(当時の沖縄開発庁)につきますが、たった1ヶ月でトラブルを起こし、辞任することになりました。

その時は、確か、二日酔いで記者会見に出席したことが原因です。

落語協会を脱退し、「立川流」を旗揚げしたことも、今思えば、実に破天荒な行動でした。

彼の生涯は、けして権力に媚びることなく、自分を貫き通したことで、より輝いていると思います。

芸(落語)と私生活の両方で、まさに名人でした

(その代わり、周りの関係者や弟子は、とんでもない苦労を強いられることになりました。)

昭和と平成を駆け抜けた、未曾有の落語家の生涯は、人間味と魅力溢れる内容(エピソード)ばかりです。

とても面白い一代記でした。

    遠藤雅信

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